赤い車

レースでの輝かしい戦績

1962年に登場した250GTOは、スポーツカー世界選手権のために開発された競技用のレーシングカーでした。250GTOは、1962~1964年までの間におよそ30~40台製造されています。

登場してからすぐに数々の勝利をおさめた250GTO。1963年になると、アメリカのシェルビー・アメリカンがコブラ(イギリス・アメリカのスポーツカー)でフェラーリに挑戦。熾烈な戦いを経て、見事に勝利しました。それだけでなく、250GTOは翌年に向けてさらなる強化を図り、後継モデルの開発を始めます。その結果、フェラーリはGTクラスの3年連続チャンピオンに輝きました。

1960年代の伝説的なスポーツカーであり、カーレーシング界において活躍を見せたことで、その評価はますます上がっていきました。オークションで最高価格を叩きだすなど、未だにその存在感を示し続けています。

オークションでも高い評価を受ける

250GTOは、レースにおける輝かしい成績のみならず、その希少性と歴史的な価値から非常に高い評価を受けており、オークションにおける落札額の高さでも知られています。

2014年にはボナムズ・オークションで約39億円(当時の価格)という高額で落札され、落札価格の最高額を記録しました。そして、2018年に行われたRMサザビーズオークションでも、素晴らしい戦績をもつ250GTOが登場し、オリジナルのパーツがきれいに保たれていることが高い評価に繋がって、約53億7000万円という高額で落札されました。以前の最高落札額を叩きだしたのも250GTOでしたが、このオークションで同じ250GTOが最高落札額を塗り替えたのです。

商標権を巡る裁判

ところで、皆さんの中には250GTOのレプリカ仕様があることをご存じの方もいるかもしれません。2019年、フェラーリ社とアレス・デザイン社との間で250GTOの商標権を巡る裁判が話題となりました。アレス・デザイン社が250GTOのレプリカ製造を進めようとしていたからです。

結果として、ボローニャ商事裁判所は250GTOを「芸術品」として、複製権はフェラーリ社のみが有すると認めたものの、最終的にレプリカ製造の禁止は認められず、外部企業が250GTOのレプリカ仕様を販売できるという状態になりました。

この内容についてはいろいろな意見があると思いますが、フェラーリの250GTOは、その美しさと戦歴からからクラシックカーレーシングの世界で一世を風靡し、その後も魅力が色褪せていないことは間違いありません。